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子どもの悲しみ [子ども再発見]

大人というものは、どうしてこうも、けろりと、自分の子どものころを忘れて、子どもだって、ときにはずいぶん悲しく、不幸なことだってあるのだということを、まるでわからなくなってしまうのでしょう。子どもの涙は――これは誓っていいますが――大人の涙より小さいというものではありません。(ケストナー「飛ぶ教室」より)

子どもというものは、親子関係をスムースに保つために、親に気に入られるため、かなり気を使い、気をまわし、不満や疑いを押し殺しているものであって、とても素直になってはいられない。

子どもに「素直になりなさい」と無神経に言うことのできる親は、子ども側のそういう努力に気づいていないのであろう。

子どもの自殺も、大人の自殺も同じく人間の自殺であって、本質的に異なるところはない。子どもだって、おとなと同じように悩み、苦しむし、世をはかなむのである。

子どもの自殺が理由のない不可解なものに思えるのは、子どもは子どもなりに悩んでいることを知らないからであろう。
「親の心子知らず」と言われるが、「素直になりなさい」と言える親は、子どもの心を知らない親である。(岸田 秀「出がらし ものぐさ精神分析」より)

上記の文は、それぞれ2冊の本から抜粋したものだが、これがそのまま当てはまる子どもたちがいる。

10ヶ月ほど関わって、3週間ほど前に別れた心療内科に通う10歳の少女もそうだった。親と別れて暮らすほうがいいと判断されて、親元を離れることになったので、私の役目も終ったのだ。
すっきりしない、心残りの別れ方だった。

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個性的な子 [子ども再発見]

これまで数々の子どもたちと出会ってきたが、子どもの思考や発想のおもしろさに感心してしまうことがしばしばある。

一人目は5歳のT君。T君は絵本が大好きで、私の顔を見ると、「本を読んで」と必ず言うのだが、気に入った本に出会ったときの、T君の反応がおもしろい。まず、私が1ページ目から順番に読んで聞かせるのだが、その間、T君は自分なりのストーリを頭の中で組み立てていくらしい。そして、読み終わると、「今度は後ろのページから読んで」と決まって言うのだ。最後のページの最後の行からという意味だ。そういう読み方をすると、意味が通じない箇所も出てくるのだが、文章が倒置法になったり、詩的になったりする。そうして、後ろから読んでいくと、当然最初のページを最後に読むことになる。T君は、私が後ろから読んでいくうちに、次はどうなるかを、前から読んだときのストーリーを思い出しながら、想像していくのだ。そして、最後のページ(本当は、最初の1ページ目)まで読み進んで、冒頭の1行目に辿り着いたとき、納得した表情を見せるのだ。
本の読み聞かせをしていて、小学校に上がる前の子から、こんなことを言われたのは初めてだったので、私は感心するとともに、T君の発想をとてもおもしろいと思った。
将来、どんな子になるのか楽しみだ。

二人目は小学1年のK君。算数の引き算を教えていたときのことだ。たし算はよかったのだが、引き算の繰り下がりになったときに(18-9のような)、「ぼく、引く数を 隣から借りてくるのイヤだ。借りたくない」と言いい張って、そこからなかなか前に進まなかった。
同じようなことが、中学3年のMちゃんにもあった。数学の公式を使って、計算問題を解くときに、やはり公式を使いたくないと言って、公式を使わずに計算するので、その分余計に時間がかかってしまった。
私は、彼らの個性をおもしろいと思ったが、一般論でいうと、こういうことにこだわってしまう子は、勉強の面では取り残されてしまうことになる。「そんなくだらないことにこだわらないで、さっさとやればいいの」と、親も先生もいうだろう。
さしずめ、今、放映されている「女王の教室」の真矢先生から言わせれば、「バカな子」ということになってしまうに違いない。
しかし、彼と彼女は、今、自分の進むべき道を見つけて、イキイキとがんばっている。

子どもはたくさんの可能性をもっている。その可能性をつぶさずに、どう伸ばしていくのかが、関係する大人に求められるのだろうけど、これって、結構むずかしい。まして、わが子となればなおさらのことだ。
黙ってわが子を見守る、信じて待つ、それがなかなか出来ないのだ。


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泣いて、泣いて、泣き続けて [子ども再発見]

自分の子育て中は気づかなくても、よその子どもだと「えっ、こんなことするんだ。思うんだ」と感心したり、感動したりすることがよくある。

先日、もうじき3歳になる子どもを、ママが出張に行っている間、11時間、その子の家で面倒をみるという仕事が突然に飛び込んできた。

その子、K君と私はその日が初対面であったが、私が到着したときにはママはもう出かけたあとで、前日から泊り込んでいた妹さん夫婦がいた。K君は妹さん夫婦にもなついていて、「お姉ちゃん、お兄ちゃん」と呼んで慕っていた。その夫婦がいる間は、多少の人見知りはあったものの、私にもおもちゃなど見せてくれて遊んでいたのだが、問題はその後だった。

お姉ちゃんも、お姉ちゃんもそれぞれ、会社に行かなければならなかったのだが、それを察知すると、「行っちゃやだ」と言って激しく泣くので、2人とも出るに出られない。
けれど、2人とも会社を休むわけにも行かないので、K君を振り切って出ていくしかなかった。

2人が出て行ってしまうと、K君は玄関をバタバタ叩いたり、物を投げたりして、泣き叫び、収まる気配がなかった。
そうしながら、「ママがいい。お姉ちゃんがいい。お兄ちゃんがいい」「おばあちゃん(私のこと)はいやだ」と叫び、その間に「助けてー」などと大声で叫ぶので、同じマンションに住んでいる住人が何と思うかと思ったが、こんなときはなだめたり、慰めたりするのは逆効果なので、私は黙って様子を見ることにした。

K君の側に立って考えれば、いきなり知らないおばちゃん(じゃ、なくておばあちゃんか?)が現れて、一緒にお留守番をしましょうと言われたって、受け入れられないのは当たり前だ。それどころか、正常に育っていることの証のような気がする。(逆に、ママやパパがいなくなっても、何の感情も示さない子がいるが、こういう子の方が私はむしろ気になる)

K君が泣いたり、叫んだりするのは1時間も続いたろうか。よく、聞いていると、K君は泣きながら、次に言う言葉を探しているようだった。それは、「ママ」であったり、「お兄ちゃん」であったり、「おばあちゃんなんて嫌いだ」であったり、「助けて」であったりして、泣きながらも、ちゃんと次に言う言葉を計算しているようだった。決して、一本調子ではなく、リズムもあった。

そうこうしているうちに、K君は泣きつかれて、玄関に置いてあったベビーカーで寝てしまった。それから1時間ほどして起きたのだが、私は様子を見ながら、ベビーカーに近づき、泣いている子が主人公の絵本を見せて、K君に示した。
それからは、私と一緒に同じ絵本を何回も読んだり、お昼ご飯を食べたり、ボール投げなどして、夢中で遊んだ。

午後になると、もうすっかり打ち解けて、「おばあちゃん、大好き」と言ってくれるようになり、その後、公園で遊んだ時に、K君が言った言葉に私はすっかり感心してしまった。

「Kちゃん、さっきはママがいい。お兄ちゃんがいい。お姉ちゃんがいい。おばあちゃんはいやだって泣いたんだよね」と自分を振り返って言ったのだ。
3、4時間前の自分の気持ちを覚えていて、ちゃんと振り返って、反省していたのだった。

3歳にならない子が、自分を振り返ることが出来るなんて、私は夢にも思わなかった。
子どもってすごい。
それからママが帰って来て、「バイ、、バイ」と握手してK君とは別れた。
もう一度、会いたくなるようなおもしろい子だった。


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