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夏の終わり [介護日記]

東京都の道路拡張工事にひっかかり、立ち退きを迫られていた実家の取り壊しが決まった。
それに伴う仮住まいへの引っ越しがお彼岸の日の23日、24日で終わった。
この日を迎えるまでの1ヶ月間は、私も足繁く実家に通い、母の荷物整理に追われた。

腰の持病に、うつ病(現在はかなりよくなってきてはいるが)を患っている84歳の母が、この引っ越しをうまく乗り切れるかが、ここ何ヶ月かの私の一番の心配事だったが、母は何とか持ちこたえてくれた。

ここに辿りつくまでに、私も少なからず大変な思いをした。2世代住宅の1階に住んでいた母の荷物整理は全面的に私が引き受けていたので、ダンボール詰めや廃棄処分品、コンテナに運ぶ荷物の仕分けなどをやったのだが、肉体的な疲れよりも精神的なストレスが大きかった。

母が、捨てるものと、残しておくものの決断がなかなかつかないのは仕方がないとして、2階に住む弟夫婦(特にお嫁さん)への気の使い方が、私のストレスの最たるものだった。それは、特にゴミ問題に顕著に現れた。
引っ越しだから、燃えるゴミ、燃えないゴミをはじめとして、粗大ゴミやリサイクル品など、いろいろ出てくるのは当たり前なのに、その処分をお嫁さんに頼むのは気が引けると言ったからだ。

仕方がないので、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源回収に出す本や箱などのダンボール類、ペットポトル類、空き缶など等は、何回かの休日を利用して、夫に頼んで車で自宅まで運んでもらった。
賞味期限を過ぎたサラダ油やしょうゆの入ったペットボトル、油ポットに入ったままの古い油、中身が入った缶詰類も流しの下や、冷蔵庫からごっそり出てきた。全て、棄てることをお嫁さんに頼めないまま、手付かずになっていた食料品だった。
その量は半端なものではなく、それを分類して処分するにはかなりの時間を要した。
それに私が費やす労力もさることながら、母とお嫁さんのそうした関係に、いらいらさせられたのも事実だった。

引っ越しの当日、取り壊される家に、ねぎらいの意味も込めてオレンジのバラの花を2輪、飾ってきた。
今から45年前、夫(私にとって父)を交通事故で亡くした母が、実家から土地を譲り受けて建てた家だった。
家が出来る前に、1年ばかり、母の実家が所有していた物置小屋のような家に住んでいたこともあったのだが、母が建てたその家で、私たち親子(母と私と2人の弟)の、事実上の母子生活が始まったのだ。
父が亡くなるまでは恵まれた生活をしていた私たちは、それからは母の必死の働きで、学校に行き、就職をし、それぞれの家庭を持つことができた。
一家の大黒柱として家計を支えてくれたのはもちろんのこと、母からは有り余るほどの愛情ももらっていた。

45年前に建てたその家は、2階を人に貸して家賃収入を得ていたのだが、その後は改築して私や次男一家の盆暮れの宿泊場所になり、さらに4年前、母と同居することになった次男一家のために大幅な増改築が行われた。
それもこれも、母がしっかりと、堅実に生きてきたからこそ実現したものだった。
やさしくて、きれいで、賢い、私にとっては自慢の母だった。
そんな母との思い出がいっぱい詰まった家が、間もなくなくなってしまう。

今の母は体だけでなく気持ちもすっかり弱くなってしまっていて、今回の引っ越しについては不安ばかりが先に立ってしまい、なすすべもなくオロオロするばかりだった。
役に立たない自分に自己嫌悪も感じていたが、客観的に見ても、若い人にとっても大変な引っ越しをよく乗り切ったと思う。
不安ばかり、愚痴ばかり、不満ばかりを口にするので、引っ越しの最中は、私も、ついついきつい言葉を投げかけてしまったが、心の中では母がかわいそうでたまらなかった。
今までのように2世代住宅ではなく、台所も一つの仮住まいの生活では、これまで以上にお嫁さんに気を遣い、小さくなって生活することは目に見えていたからだ。
慣れない家での日中の一人暮らしも、どんなに心細く感じることだろう。

夏の終わりに、この週明けにも、母の家は取り壊されることになっている。
それと同時に、母と私が共に歩んできた一つの時代が終わったような気がして、家を後にするときには、感傷的な気分になってしまった。

それでも、これからも私は仮住まいの家にも通い続けて、母を支え、つかの間でもいいから母の笑顔を見たいと思っている。
「お母さんのことは、私が守るから、心配しないで」と心に誓いながら、母に会えなくなる日が訪れないことを願いながら。


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Haruka

 暑さが続きましたが、私の住む滋賀県も急に涼しくというより寒くなった。
長い残夏でしたが。
 ちいととさんのご両親は戦後か、戦争中に多分、ご家庭をもたれたのだと推察します。私の両親も含め、本当につらい時代を過ごさざるを得なかった。 少し良くなったらご主人をなくされた。 私の両親はすでにない。 おばがちいととさんのお母様と実に良く似た生涯です。 やはり交通事故で主人をなくした。3人の娘が残された。 この叔母は92歳になった。 今年、私は会社を退任したので、この叔母と一緒に住んでいる一番下の娘の所にこれまでのお礼を含め、友が作っている自慢のうどんを送った。えらく叔母は喜んでくれた。 最近、城山三郎の「指揮官たちの特攻」という本を読みました。昔、高木俊明の知覧も読みました。 我々の親は本当に苦労だけだった。
ちいととさんは既に実に立派。多分こんな立派な娘をもったお母様は幸せだと思います。
 先ほど書いた従兄弟とTelで雑談したのですが、92才まで30年以上もある。もう30年しかないとも思える。
 ここで言えることは我々が実りある今後を持たなければ、我々を育ててくれた親に申し訳ないのは確かだと思います。
気候、激変、御身お大切に。
by Haruka (2007-09-30 14:22) 

ちいとと

Harukaさん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
確かに、私たちの親の世代は大変だったと思います。私の母は、子どもたちのためにだけ生きてきたたような人ですが、それが生きがいでもあったので、不幸ではなかったと思っています。
Harukaさんの叔母さまも、きっとそうだと思います。92才になられても、Harukaさんの気持ちを喜ぶ感性が残っているなんて、きっとステキな方なのでしょうね。
私は、平凡な毎日の中に自分なりの楽しみを見い出しながらも、目標に向かって小さな努力を積み重ねていけば、今後の人生も豊かになっていくのではないかと、そんなふうに思っています。
by ちいとと (2007-09-30 22:54) 

こう

 家の問題は、家長がしっかりしているか、家族は家長を敬っているかできまるような気がします。今は、家で一番小さくなっている私ですが、両親と同居するようになったら、変わらなければと思います。
 祖母は93才で、叔父に家に住むようになりましたが、大丈夫なのか心配していました。先日、祖母のために改装した家を見て、まずまず安心しました。その一方で、いずれはこう状況になるのかと、興味を持って見ていました。
by こう (2007-10-03 12:44) 

ちいとと

いつもながらのナイスとコメントありがとうございます。
こうさんは将来、ご両親と同居することが決まっているのですね。同居問題はむずかしいです。特に、嫁と姑の問題は。。うまくいかなくて当たり前と思ったほうがいいかもしれませんね。
団塊世代の私は、親の介護はしても、子どもにそれを期待するのは酷だと思っています。
by ちいとと (2007-10-03 20:07) 

びあんこ

ちいととさん、こんにちは。
母へのお悔やみありがとうございました、お礼が遅れて申し訳ありません。

こちらの記事で、父が亡くなった当時を思い出しました。
家中モノがあふれ、どうにもならない状態でした。
幸いというか、母の知人たちがあれこれ引き取ってくれ、家は残った道具込みで売れまして、私たちはあまりごみ捨てに煩わされずに済んだのですが。

といった経緯があるので、今から私も身辺整理をしなければ、と思っております。
今後ともよろしくお願いします、お元気で。
by びあんこ (2007-10-05 19:11) 

ちいとと

お母様が亡くなられたうえに、弟さんのことではずいぶんいやな思いをされて、気が重かったことと思います。
悲しみと十分に向き合った後に、ぴあんこさんがまた、ご自分の楽しみを見出して、日々を穏やかに過ごされることを願っています。
by ちいとと (2007-10-05 20:33) 

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